1956年生まれの、2023年6月、現在66歳。
愛媛県松山市に生まれました。
父は、中学校の教諭で美術を教えていました。
結構、酒好きでよく酔っぱらって夜中の2時、3時に帰ってきました。
その父も、すでに鬼籍に入りました。
特に極端な貧乏ではありませんでしたが、それなりに貧乏でしたね。
血族に医師はおりません。
10歳になるまでは、長男として一人っ子として育てられました。
母は、それなりに教育熱心で、私を寵愛していたのだと思います。
私もそれに答えてよく勉強していたと記憶しております。
その母も、10年余り寝たきりで入院した後、2014年に亡くなりました。
特に、親に反抗することもなく小学校、中学校、高校と進学しました。
幼少時から、生き物や自然が大好きで、昆虫から犬猫に至まで、家で飼ってました。
確か、私が14歳の時(1970年)に、日本万国博覧会が大阪府で開催された時、父親から見に行きたいかと尋ねられ、天体望遠鏡が欲しいと言ったのを覚えています。
中学生の間は、天体観測に夢中でした。
高校生になっても、私の住んでいるところでは有名進学校でしたので、結構勉強はしました。
大学受験を考えるころ、自分はいったい何がしたいのかしばらくの期間考え続けました。
父は、自分の様な、絵描きには絶対したくない様子で、医者になったらどうかと提案されたように記憶しております。
しかし私は、医者が好きではありませんでした。
当時の日本医師会会長、武見 太郎氏を好きになれなかったこととも関係があるのかもしれません。
しかしながら、生命をいうものにとても興味があり、自分が人間であることから、人間の生命を扱える職業を選ばざるを得なかったといったところが、医学部へと進学した本当の理由だと思います。貧乏であるがゆえに、医学部の学費は私がアルバイトと奨学金などで全て支払いましたが、400万円余ほどの借金が残りました。医師になってから20年程度で完済いたしました。
脳神経外科を専攻したのも、人間を規定する臓器である脳を自分で確かめたかったのです。
そして、脳神経外科手術も1000例以上経験しましたが、何か物足りなさを感じていました。それは、手術しても良くならない何か、そして西洋医学的に解決できないすべてに疑問を感じていたのです。
さらには、現在の保険診療については、薬を処方したり、採血検査、画像検査(X線、CT、MRI、エコー検査)などによって利益を得ることが中心になります。もちろん、私は脳外科医ですので、手術という技術料による利益はありますがこれはその習得時間、困難さを考慮してもあまりにも安価すぎますし、外来で患者さんを診断したり、診察したり、説明することに対する対価は設定されていません。自ずと、患者さんとお話しする時間を出来る限り少なくしていかにたくさんの薬を処方し、いかにたくさんの検査をするかで利益の大小が決定してしまうのです。これは、真の医療と言えるのでしょうか? 私は大いなる疑問を抱きました。
近年、薬害について少しずつ一般市民の方たちも気づき始めています。西洋医学をやっている医師はそれをわかりつつも、他に病気に対応する方法、技術を持っていないためにどうすることもできないのです。製薬会社はどんどんと新薬を開発しようと資金を投入します。当然それを回収するためにたくさんの薬を売り込みます。悪循環ですね。しかも、病名さえカルテに書けばどんな薬でも処方できますし、どんな検査もできるようになってます。患者さんは、たまったものではありません。これは、もはや医療ではないでしょう。
結局、医師には病気を根本的に治すことなどできないのだということなのです。
そんな中で、私は2014年の8月に衝撃的な出会いをします。それが生体エネルギー治療の”見えない世界”でした。この出会いにより私の医学的世界と本当の人間というものあるいは、生物、いやこの宇宙全体に満ちているすべてに対する概念が明らかになってきたように思います。
このブログでは、そんな世界をあなたと共有できたらと思います。
それでは、どうぞ未知なる世界へどうぞ!