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貪欲–独占欲
貪欲とは、所有したいという過度の欲求が回を追うごとに募るもので (欲するものは物財でも他のいかなる性質のものでも良い)、それによって他者が損害を被っても構わない。
貪欲な者は、自分の持ち物では決して満足できずに、いつも持っていないものや他者のものを欲しがり、それを手に入れるまで留まるところ を知らない。貪欲な者は、自分のものを評価しないので浪費癖のある魂であり、いつも他者の持ち物を切望しているので羨み深い魂である。
魂が虚栄の初期段階から発展段階へと移行すると、物的な貪欲さは霊的な貪欲さ、つまり独占欲へと変化していく。
人が意識してかしないでか、自己満足のために他者の注意を引こうと、相手の自由意志を侵害したり強要してしまうことには頓着せずに、できるだけ長く自分に構ってくれるように人の感情を操る場合は、独占欲だ。 独占欲に支配されている人は、自分の事しか考えないことが多いので、 他者を尊重することが非常に難しい。
独占欲の強い者は、どんな手段を講じてでも注意を引こうとし、その ため、頻繁に犠牲者の振りをする。
独占欲は執着心との関係が深く、この二つの我欲の形態は、同時に同じ程度の強さで顕れることが多い。つまり執着心に苦しむ者は、独占欲 も強い場合が多いのだ。
嫉妬は多くの場合、執着心と独占欲の混ざったものだ。貪欲–独占的な人には羨望、つまり自分にはない欲しいものを所有する人たちへの反感、が目覚めがちである。欲望の対象となるのは、貪欲であれば物的所有物であり、独占欲では霊的所有物となる。
*それなら、愛して欲しいので構ってもらいたいと頼むのは、独占的になるリスクがあるので、正しくはないのですか。
その逆だよ。我々は皆愛される必要があるのだ。自分の必要性を認めて頼むのは、自己の感情表現の一部を成すので、良いことだ。
*それなら、愛して欲しいと頼むのと、独占的になることとの違いは何ですか。
強制せず、騙さず、操らず、誠実に頼む場合は、独占的ではない。
独占的なのは、強制し騙し操った時、要するに、他者の自由意志を侵害した場合だ。しかも多くの場合が、愛を求めているのではなく、ちやほやして欲しいだけなのだ。
愛とは自由に与えられなければならず、強制すればそれは愛ではなく、 義務となってしまう。そのため、家族や近親者なので自分を愛したり面倒をみる義務がある筈だという思い込みだけで、特定の人たちに愛してくれと要求するのは間違っている。
*霊的に進化するにつれて、独占欲はどう変化しますか。
執着と似通った方法でだ。 すでに話したことだが、独占欲は貪欲から派生して虚栄心の発展段階で始まり、尊大の段階の最後まで完全には克服されることがない。 魂は、愛せる能力を獲得するにつれて、自分自身の感情で満たされ始めて情緒的に他者に依存しなくなるので、感情面で寛大になると、独占欲は徐々に力を失ってゆく。自尊と尊大の段階では、独占欲は次第に減 少してゆく。
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