大変お待たせいたしました。
[僧侶夫婦のエネルギー療法+催眠療法(その1:リウマチ性多発筋痛症)]
この続編になります。
リウマチ性多発筋痛症と診断された奥様にお引き続き、住職であるご主人にも登場していただきます。
奥様の治療にどうして同伴されたのかについては、その1 に簡単に記載しているのでそちらをご覧ください。
住職さんには顔出しもご許可いただきましたので、是非ともご覧ください。
症例:70歳、男性 住職
主訴:視力障害
現病歴:催眠療法がメインのご希望であったのですが、42歳から緑内障、
69歳から白内障で、現在、特に左目の方が悪く、今回車の免許の更新ができなかったとのことでした。(両目で0.7の視力が出なかったということになります)
そして、住職をしながらも農業に対する思いが強くあることで、奥様にかなりの負担をかけたことを反省され、自分がどうして農業にこれほどこだわって生きているのかを自分の潜在意識(魂)に尋ねて見たいと思われたようです。
エネルギー治療
まずは、十分に問診をしてからエネルギー治療を実施いたしました。
主訴が主訴ですので、ビデオや写真ではそれを皆様に理解できる形ではお見せできません。
ここは、いつも通りエネルギー治療を1セッション実施いたしました。
時間にして約10分間くらいです。
治療前は、文字を見るのが辛くて、本も読みたくない状態でしたが、治療が終わってから、奥様の催眠療法を4時間実施している間に、本を何冊か読まれていました。そして、驚いたことに、目が非常によくなったとご本人が言われ、本を楽しく読むことができたと喜ばれました。
催眠療法
ここからは、ご本人に登場していただきましょう。
今回、催眠療法を経験されたことを、本当に感動されたようです。
実は、奥様が催眠療法を受けた後、奥様と色々と話をされて、奥様から自分のせいで妻の病が起こっているのではないのだと知って今回の催眠の目的を変えることになりました。
催眠への誘導は、農業に強く惹かれる理由を知るための旅(アドベンチャー)に変わったのです。
” * ” は、私の注釈です。
催眠療法を受けて
三重県伊勢市 MT
<目的>
「僧侶である自分が、なぜ無農薬・無化学肥料による農業に、これほどまでにのめり込んでとりくむようになったのか」について過去世より学びたいとの思いをもって催眠療法を受けました。
<催眠>
*催眠を深めていき、前世へと誘導する。
山が見えた。うすい雲に覆われ青く見え隠れする高い山。
山の向こうに空が広がっている。
近づいていくと樹木におおわれた深い渓谷がつらなる。何の樹かわからない。
葉の形もわからない。
草原に出た。見渡す限りの草原に花はない。
草に覆われている。草は赤茶けた色。
地面からさらに降りていくことにした。
足元は土と石ころ。下に降りていく階段がある。手すりのついた、木で作られた階段。
一歩、一歩と降りていく。手すりは丈夫なものではない。
ところどころ壊れ黒っぽい色の古木でつくられている。
炭鉱の中に降りていくように思える。側面は土か岩。底に到着した。
丸い天井のように空が見えている。穴の中にいる。
進もうとすると何本もの角材がジャングルジムのように組み合わさった建造物が見える。それが岩盤を支えているようだ。
足は裸足だと感じた。見ていると周りが真っ赤になった。火事が起こったのか…。溶岩が流れ出したのか…。覆いかぶさってきた岩盤に挟まった。痛くもない怖くもない。その状態をみている自分がいるようだった。
その場所から、また外に向かって、階段を上った。
目の前に大きな岩があり、その岩をのぼった。
岩にぶらさがり、はいあがろうとした。なかなかのぼりきれない。
やっとのぼりきれたと思い、その場所に腹ばいになった。
そしてこの場所を、もっとも安心できる場所と定めた。
*さらに催眠を深めながら、場面を展開していくように誘導する。
道がつづいている。両側には人の背丈を超えるほどの植物が栽培されている。
のようだが何の木だかわからない。
槙垣のように刈り込まれた形をしていて、中を見ることができない。
道を少女が歩いている。
左手にバケツを持っている。
右手は何も持っていない。
長靴をはいている。黒い長靴。
頭は帽子のようだが白い布で覆われていて顔が見えない
白い前掛けのような服を着ている。
片方の目を見た。瞳の色は黒。
髪の毛の色はわからない。布に覆われていて見えない。
マッチ売りの少女のような姿だ。
名前はカレン。
*名前をはっきりと言えるようなら、催眠はかなり深く入っている。
道は家並みに入った。裕福とは言えない家並みが続く。
カレンが家に入っていく。
板が敷かれた上り口をのぼり、中に入る。薄暗く電灯はない。
蝋燭やランプのような灯りも見当たらない。
奥の部屋に誰かが横たわっているようだ。
カレンが肩に手を置き呼びかける。
振り返ったおばあさん。
カレンの祖母だ。
カレンを見てしわくちゃの顔でわらっている。
病気なのか歩けないのかはわからない。
両親や兄弟はいなくて、祖母と二人暮らしのようだ。
カレンが家の中で仕事をしている。
袋がいくつもおいてある。
米袋のような袋。中には黒い豆のようなものが入っている。
それを枡で測って小分けしているようだ。
どうするのかはわからない。
翌朝、カレンは、また農園の中をぬける道を通って出かけて行った。
働きに行くのか、どこに行くのかはわからない。
*少し時間を進めカレンにとって重要な体験へと誘導する。
成長したカレンが農園を見ている。
焼けてしまった農園だ。
カレンが住んでいた村も家も跡形もなく焼けこけてしまっている。
戦争があったのか…、火事になったのか。
立ち尽くしているカレン。
カレンが泣いている。
カレンが決意する。
この村を、この農園を復興すると。村人たちの静かな生活を取り戻したいと。
*さらに時間を進めカレンにとって次の重要な体験へと誘導する。
カレンが飛行機に乗っている。
運転席の後ろから農園を見下ろしている。
村にも生活が戻っている。
発展した村の様子が、飛行機から見て取れる。
カレンが会議をしている。
二、三十人が集まっている。
その中心にカレンが座っている。
眼鏡をかけて、髪の毛を伸ばしたカレン。
カレンが話している内容は何か。
カレンは、農園の復興と村の再建を世界に広げていこうと訴えている。
灌漑施設の必要性と協力を訴えている。
植林の必要性を訴えている。
*さらに時間を進めカレンの臨終が近い場面へと誘導する。
カレンが海を見ている。白い別荘のベランダにカレンはいる。
年老いたカレン。
年老いたカレンは、白髪になっている。
ベランダの前は、大きな岩の石畳になっている。
*そしてついに臨終を迎える場面へ。
カレンが車椅子に乗って、原っぱにいる。
車椅子を押す人がいて、そのまわりにはたくさんの人が後に続いている。
原っぱは広がり空につづくような草原となる。
その中にカレンが埋められようとしている。
たくさんの人が笑いながら涙を流している。
”シャロームの歌” * (このブログの最後に説明あり)が沸き起こる。
「どこかでまたいつか会えるさ。また会おう、また会おう、どこかで…」。
どこまでも歌が続いていく。
カレンが埋められる。拍手が起こる。
*そして、魂はあの世(中間世)へと登っていくように誘導。
カレンの魂が空にのぼっていく。
*中間世で、自身の前世の魂(カレンの魂)の所に今世の自分を誘導。
私は両手をあげて、カレンの左手と私の右手、カレンの右手と私の左手を合わせる。
私は願った。
私の左手からカレンの右手に、私が捨てたいと願っているものを。
カレンの左手から私の右手にカレンからいただきたいものを、エネルギー交換することを願った。
交換がはじまった。
身体があつくなった。
エネルギーが、ぐるぐると私の体をめぐった。
私は三回言った。
私が捨てたいものは、
欲と怒りと愚痴。自慢・高慢・驕慢心。
私がいただきたいものは、
慈悲・歓喜・正義・安忍・剛毅・貞操・謙遜・真実等の德を怨親平等得られるように…と。
*最初に決めた安全な場所に帰るように誘導。
私は、最初に定めた一番安心できる場所、あの大きな岩の岩盤の上に座っていた。
そこから海が見えた。
海は青く、そして空につながっていた。
やがて海が収穫を迎えた米や麦のような黄金色に輝きだし、空は海の青さへと変わっていった。
そして私がいる場所に気がついた。
それは、カレンの別荘があった岬の先端の大きな岩の岩盤の上であったということを…。
<催眠療法を終えての感想>
白石先生の語られる問いに答え続け、終えた時、一つのストーリーが完成していたことに驚きました。
カレンから離れなければならない時が来た時、「無理です。私がカレンで、カレンが私だから…」と言ったことを覚えています。
エネルギーの交換をするためには、離れなければできないことを知ってカレンは宙に浮かびました。
姿は見えませんでした。
しかし左手を感じ右手を感じつつ、手を合わせたのでした。
エネルギー交換の体感は大きなものでした。
これからの人生に勇気と希望を得ることができたと実感しています。
何が出てくるのかもわからない私の一言ひとことから、その話の先を、暗闇の中から表へと導き、出させてくれる白石先生の、寄り添っての、細やかで丁寧な質問の数々、この問いかけがなければ、一歩も前に進むことができなかったでしょう。
安心して質問に答えようと、自分に見えたものを見えたように言葉にしていくことで出会えた過去世に感謝します。
それは現在を生きる私たちの生き方を創造するうえで極めて大切で、生きなおしにとって極めて有効な方法ではないかと感じています。
いつかまた、カレンに会える日を楽しみにしたいと思います。
考察:
催眠療法の優れているところは、ご本人の潜在意識(カール・ユングの言った集合意識を含む)が、きちんと案内をしてくれて、本当に知りたいと思っている所に連れて行ってくれることにあります。
例えば、占い師やチャネラーに自分の今世の目的を見てもらったとしても、それは他人が見たものを教えてもらうにすぎません。
自分が体験することではないのです。
したがって、受け取る情報は自分の体験ではないのです。
体験は、感情や感覚(五感の全て)を伴わなければ訴える力が弱いので、本当に心から腑に落ちることがありません。
感情や感覚は体に染み付いています。
心身と言うように、心と身体は表裏一体です。
過去世や幼少時期の体験は、魂と共に身体(心)にも記憶されています。
今世、この今に起こったことが、引き金(トリガー trigger)となって感情や感覚が過去の時空から呼び起こされます。そして、身体が反応してしまいます。
パニック障害なども、何かにトリガーされて、感情・感覚が呼び起こされます。動悸がドキドキ、呼吸が苦しい、手足が震える。。。これらの身体反応は、過去の時空が過去ではなくなり、今この時にクラッシュして繋がることで起こります。
このご住職の農業に対する情熱も過去の時空が今に繋がり、とても強い動機となって感じられるのです。
今回も、催眠療法の素晴らしさを認識できたと思います。
ご住職、素晴らしい投稿をありがとうございました。
<*シャロームの歌について>
なぜ、この歌が登場したのかは、患者さんに確認しておりません。
また、機会がありましたらお尋ねしてみたいと思います。
カレンが生まれた場所がイスラエルだったからでしょうか?
日本では『シャロームの歌』または『シャロムの歌』として知られるイスラエル民謡(パレスチナ民謡)『Shalom Chaverim(シャローム・ハベリム)』。
「Shalom」というヘブライ語(の音訳)は「平和」を意味するが、この言葉は日常的な挨拶としても使われており、人と会った時に使えば「こんにちは」、別れるときに使えば「さようなら」といったように、同じ単語だが異なる場面で幅広く使われている。
友との別れを意味する言葉
イスラエル民謡『Shalom Chaverim』における「Shalom(シャローム/シャロム)」は、別れ際に交わす言葉としての意味合いで使われており、「Chaverim(ハベリム/ハヴェリム)」は「私の友」を意味することから、曲名は「さよなら友よ」といった内容になるだろうか。
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