魂の法則:愛 vs 我欲(怖れ)

脳神経外科医師の白石俊隆です

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生体エネルギー療法と催眠療法を行える日本では貴重な

脳神経外科医師の白石俊隆です。

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また、治療の効果につきましては個人差があり一様ではありませんのでその点はご理解いただきますようお願いいたします。

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私が、「魂の法則」を投稿しようと思いつくタイミングは、何らかの必然を持っているようです。おそらく、今、私の側にいる人・患者さんが今日の投稿内容を必要としているのだと私は感じます。是非、すぐにお読みください。
今まさに、地球上の全人類は、新型コロナウイルスに対して ”怖れ” を抱いてます。今日の「魂の法則」:愛 vs 我欲(怖れ)は、それに対する答えを示してくれています。

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怖れとは、懸念・動揺・不安の感情であり、自分や自分が愛する者への危険や脅威を感知して生まれるが、危険自体は、現実的なものである 場合と、想像上のものである場合がある。

怖れに脅かされている者は、自分に全く自信がなく無防備であると感 じ、大事な決断では、感情または肉体を傷つける悪い結果になりはしないかといつも迷う。しかも怖れは怖れを呼ぶ。つまり、怖れは頭を過度に刺激して、現実の状況を、空想上の脅威が出現する架空の状況に創り変えてしまう。しかも、それを本物だと信じてしまい、現実の脅威だけではなく想像上の脅威によっても、自分の怖れを増大させてしまうのだ。

怖れは心配も引き起こす。頭の中で、脅威となり得るあらゆる状況を予め想定して、その全てから無傷で逃れる方法を探そうとするからだ。

恐怖とパニックは、強烈で鋭い怖れの感覚で、非常にトラウマとなり易い。

 

怖れは、自分が在るがままに振舞う妨げとなるので、霊的進化に最も有害な感情の一つである。進化する意志のある善意の魂でさえも、怖れを乗り越えられなければ、長期にわたって成長が滞ってしまうことがあり得る。

*でも、全ての怖れが同じだとは思わないのですが。

もちろん違う。だが一般的に、怖れは魂を抑圧して、気持ちに従って行動できなくさせ、感情を窒息させて完全に抑制してしまうことさえあ る。そのため、停滞してしまうのだ。

*しかし、正確には何を怖れているのですか。

最も一般的な怖れは、自分への他者の否定的な反応をこわがるものだ。

この定義から派生する怖れとしては、愛してもらえない怖れ、理解してもらえない怖れ、拒否されたり軽蔑される怖れ、攻撃性(肉体的・精神的暴力)への怖れ、孤独になる怖れなどがある。

ところで、自分への他者の否定的反応が怖いと、その怖れが、在るがままの自分を表現する怖れをもっと増長させてしまう。そして、これに 負けてしまうと、他者が望む自分らしくない振舞いをしてしまう。他者とはこの場合、身近にいる人で、愛する人や家族(母親・父親・兄弟・ 伴侶など)のように、少なくとも愛情を期待できる人のことだが、全般には、どんな人間関係にも当てはまる。この怖れは、家族内外を問わず、 こどもが肉体的・精神的な暴力や虐待の対象となった幼児期に由来する ことが多い。

前述のカテゴリーに入らない怖れとしては、未知なものへの怖れ、死 への怖れ、苦痛(肉体的または精神的)への怖れがある。

未知への怖れは、不安を呼ぶ。人は、知らないものについて、多大な脅威や危険を想像してしまうものなのだ。実際のところ、死の恐怖とい うものは未知への怖れであり、死後に起こり得る未知なるものへの怖れ であるか、無というもっと冷酷なものがやって来ることへの怖れである。

まだもう一つ別の怖れがある。人間にとっては最大の怖れで、他のものはそこから派生するので、特別に言及しておく必要がある。それは、 自分自身を知ることへの怖れであり、自分の欠点や美徳も含めて、自分が本当はどういう人なのかを発見する怖れである。

我々は、我々自身の欠点を知るのが怖い。我々は、自分にエゴがあることや、自分の災いのほとんどが自我のせいだということがなかなか納得できないために、欠点を認識すれば余計に苦しむに違いないという誤った思い込みをしているのだ。気づきは、我欲の一形態に過ぎない「自 己愛」を苦しませはするが、幸せになろうとして我欲からの解放を望んでいる魂を痛めることはない。

エゴから解放されるためには、先ず自分自身にエゴがあることを認め て、次にそれがどう表面化するのかを認識しないといけない。認めるのを怖れてはならない。我欲は全員に存在していて、それからの脱却の過程のどの地点にいるかが違うだけなのだ。だが、自分自身を知ることを怖れて長期にわたって我欲を覆い隠してしまうと、我々は停滞してしま い、ずっと苦しむことになるのだ。

同様に、我々は、愛情・感受性・謙虚さ・優しさ・同情・博愛など、 自分の美徳や愛の表現を発見することを恐れる。実際にそうすることで、 傷つけられたり利用されたりして苦しむのが怖いのだ。そしてそこから、 自分に対する他者の否定的な反応への怖れが生まれるのだ。 しかしそれにも関わらず、この怖れに打ち克ち、自分自身になって、 愛情深い自己を目覚めさせるために戦えば、内なる幸福が大変強くなる ので、外部からのどんな苦痛や攻撃にも屈しなくなる。

死に対する恐怖も、自分自身を知る怖れから生じている。死が終わり で、意識である自分自身が抹殺されると信じているので怖いのだ。自分を深く見つめる怖れを失えば、心の奥底で「死は存在しない! 君は不死 身だ!」と叫んでいる魂の声を聞くことができよう。その時に、存在し なくなることへの怖れ、つまり死の恐怖は、消えるだろう。

*怖れは、魂の進化に、具体的にどのように影響しますか。

すでに言ったが、怖れによる致命的な影響は、魂が自分を在るがままに表現するのを止めてしまい、気持ちに従って行動するのを抑制してしまうことだ。

人は自分自身でいなければ、自由意志が囚われているので、 霊的に成長できない。自由に決断ができず、いつも怖れにさいなまされ る。恐れに支配されるのだ。そして、失敗すると思い込むので、霊性進化に有益となり得るどんな状況にも立ち向かおうとしない。

怖れとは、地球の権力者たちが、人類を操り、霊的に停滞した状態に 保つために利用する感情だ。彼らは、人間が取り組もうとする霊的な挑戦には、必ず架空の敵という脅威を創り出し、偽りの安全と引き換えに、 挑戦を止めさせるのだ。

それは、彼ら自身も怖いからだ。人類に霊性・愛情・兄弟愛が目覚めて彼らの悪行が明るみになり、自分たちの犯罪が裁かれ有罪となり、特権や全財産が剥奪されたり、他の人間を騙し抑圧し搾取して獲得した権力を奪われるのが怖いのだ。

*例を挙げて下さいますか。

たとえば、人類全体の友愛に賛同する全ての運動に対する恐れを作り出し、非常に有害な勢力を作りあげ、その純真さを利用して、恐怖体制 を敷く。全人類のための連帯と協力に基づいた、もっと公正な政治・経 済体制を導入すれば、その後で混乱・無秩序・騒動や経済崩壊が起こるだろうと脅かして、恐れを生み出す。彼らは、自由は奔放となり、自由思想は厄介な考えをもたらし、自由な感情は悪習・堕落・不道徳をもた らすと予告する。

地球の人類が、他の惑星にも愛に生きる人類がいることを発見して、 それを見習ってしまうことを恐れている。そのため、地球外生命の証拠はどれも隠蔽し、他の世界の生物と接触することの危険性を映画を通して助長する。映画では、宇宙人は忌まわしい姿(昆虫、爬虫類、ウィル ス)をしていて、体内に入り込んだり、人類を滅亡させる悪意を持っているのだと思わせようとする。

人間が不死であることや、人生の目的は愛を深めながら霊的に向上す ることなのだと気づかれて、その努力を始められるのが怖い。そのため、 死後の生の存在を示すものは一切否定し、物質主義の科学教義の中に逃 げ込む。同時に、肉体の死後に起こることを追求したり、霊界と交信したりすることの恐ろしさを、映画を介して助長する。その中では、生き ている人間の魂を支配して苦しめる、幽霊・悪魔・血に飢えた吸血鬼や ゾンビなどという恐怖の存在を創り出して、死後の命をどれもおぞまし く描いているのである。

それに一役買っているのが、恐怖の産業(映画やテレビ)で、最も愚劣な脅威を映像に仕立て上げ、ほぼ全世界で見せることによって、全て の人の脳にそれが浸透し、頭の中で現実に変わるようにするのだ。全映画の90%は、テロリスト・連続殺人犯・レイプ犯・麻薬密売人・宇宙か らの侵略者・ゾンビ・様々な精神異常者といったあらゆる邪悪な存在に 姿を借りた恐怖を、何らかの方法で波及させるのが目的だ。こうして、 子どもや大人の想像力を過剰に刺激し、各人独自の怖れの上に、もっと もっと沢山の恐れが外部から加わるようにする。

*怖れはどう克服したらいいでしょう。

自覚と勇気を持つのだ。先ず、自分が怖れているということと、何を怖れているかに気づくのだ。 深く分析して見れば、怖れの一部には根拠がなく現実的な脅威とは結びつかないことや、少なくとも思っていたほどではないことが分かるだ ろう。現実の脅威に根ざした怖れの場合には、それを生み出した状況や 環境に勇気を持って立ち向かい、決断を下す際に、恐れに負けないよう にすれば乗り越えられる。

「怖れがなく、完全に自由だとしたらこの気持ちをどうしたいと思うだろう」と自問してみるのだ。それが、選択されるべき正しい決断なの だ。試してみる価値はある。絶えず努力すべきなのだ。

怖れと対面し勇敢な決断をしていくにつれて、自分の内面が進歩するのを感じ、怖れは力を失い、代わりに自信と明晰さを得る。そしていつの日か、過去を振り返り「何であんなことが怖かったんだろう。今ならはっきり分かるぞ」と言えるようになるのだ。

*自分自身を知る怖れを乗り越えることで、特に配慮すべきことがあり ますか。

自分自身を、美徳や欠点も含めて、在るがままに見るのは何も悪いこ とではない。自分を在るがままに受け容れるのだ。

改善途上であることを認め、自分に嫌なところを発見しても落胆しな いこと。自分の汚れたところに光を当てて欠点を認識することは、最初は苦痛を伴い不快かもしれないが、そうする価値はある。それが霊的な成長の道における最初の一歩になり、成長するには、我欲を排除することと同様に、感情を発達させることが不可欠であるからだ。

自分の感情を怖れず、それが現れたり表したりするのを怖れず、そうする時に嬉しく感じるのを怖れないことだ。悪い事を恐れるだけで沢山なのだから、その上、良い事を恐れるのは止めとしよう。

*同じ質問をしたかもしれないのですが、我欲とその具現形態である 「エゴ的感情」に関してのお話を全部まとめる意味で、もう一度質問を したいのですが。

質問したまえ。

*一般的に、自我とその形態を克服するにはどうすればいいのですか。

最初の一歩は認識すること。アルコール中毒であった者は、中毒を克 服する最初の一歩は、自分がアル中だと認めることだと知っている。これと同じように、虚栄心・自尊心・尊大に打ち克つための最初の一歩は、我々一人ひとりに出現する我欲を識別することで、自分の我欲を認識す ることだ。

そのためには、それぞれの欠点がどういうもので、どう表面化するの かを詳しく知る必要があり、今まで君と私はそれに取り組んできたのだ。

*それは難しく思えます。

それほど難しくはない。我欲自体が難しく見せているのだ。 他者の誤りや欠点はあんなに簡単に見えるのに、自分自身のものを認めることはなぜこんなに大変なのだろうか?(隣人の目の中のおが屑が 見えるのに、自分の目の中の丸太に気づかない)。我々がここにいるの は、自分を受け容れてそこから改善するためなのだと理解できれば、後 は簡単だ。

*我欲自体が混乱させようとするのでしたら、どのようにエゴを認識で きるのですか。

有効なのは、自分の行動をあたかも他者のもので、自分が受け手であるかのように分析してみることだ。つまり、自分と他者とを置き換えるのだ。それから分析してみる。公正で正直な振る舞いだったろうか? そ れとも、利己的に動いただろうか?

ある言動に対して、それをする時とそれをされる時とで、自分の意見が変わらなければ、客観性に近いのだ。しかし同じ言動であっても、自 分がした時には容認して、他者がした場合に告発するのであれば、それ は不公平なのであって、自我に翻弄されているのだ。それゆえ、自分の 欠点に気づくためには、他者を分析する場合と同じ客観性を持つ必要が ある。

*そしてどうするのですか。

次のステップは、態度を修正することだ。自分の利己的な思考を認識しても、それが出現しなくなる訳ではない。自我があることを認識して受容するのは大切だが、その意のままに行動することを避けて、エゴに 屈しないことだ。

別の言い方をすると、自分自身に「僕の中にエゴがあるのは知ってい るけれど、それに左右されずに行動して、愛に基づいた行いをするよう にするぞ」と言うのだ。

態度を変化させることで、我々は少しずつ、自分自身や他者への言動 や行為を修正できるようになる。利己的な態度は、自分にとっても他者 にとっても有害なのだ。

*どういう意味で自分に有害なのですか。

愛を感じられなくなるからだ。愛は、人が味わえる感情の中では最も素晴らしいもので、我々を真に幸せにしてくれるものだ。

*態度を変えることは、欠点を認めることよりもずっと難しく思えます。
利己的な言動を改めるための助言をいただけますか。

行動する際には、次のような内省が役立つだろう。「僕がそうされた ら、どんな反応をするだろうか? 僕だったら、その人にどうして欲しい だろうか?」こうして、他者も我々と同じなのだと想像すれば、自分に 災いを望む人は稀なので、自分の他者への否定的な態度を感知できる。

こう推察することで、「汝の隣人を愛せよ」という金言が生まれたの だ。もちろん、簡単ではない。改善しようという揺ぎない紀律と意志が必要とされる。しかし辛抱強く続ければ、短期間のうちに別の心持ちに なり始め、もっと内面と調和して幸せに感じられるので、前進し続ける 励みとなる。

*「エゴ的感情」は、どう扱うべきでしょうか。

それも、同じようにだ。最初に、我々皆が「エゴ的感情」を持っており、自分にもそれがあるのだと認めること。それらが、我欲が顕現した もの、または、我欲と愛との内面の葛藤が表面化したものだと認めるの だ。

次に、自己分析と内面の意識的な改革を通して、それらを打ち負かす方法を見出すこと。

*内面の意識的な改革とはどういうことですか。

それは、自分自身が指導する内なる魂の改革のことで、改革の目的(愛における進歩と我欲の排除)が明確で、欠点がどういうものでどの ように具現するのか、根絶する手段は何なのかがはっきりしている。

完全を目指す道程では、他者の美徳や欠点から学ぶことができるのと 同じように、自分の美徳や欠点を観察することでも学ぶことができるの だ。

一日のうちで自分と繋がれる静かな時間を作り、欠点についてや、そ の日の自分の態度や他者の態度について振り返ってみる。自分がどの程 度愛に基づいて行動し、どれほど我欲によって行動したのか、また、他 の人たちはどれほど愛または我欲によって行動したのかを、内省してみ るのだ。こうして正直に考えてみれば、進歩に必要となる答えを見出す ことができ、確固とした意志を持って試練に立ち向かう励みとなるのだ。

他者の利己的な態度に気づいても、それらを理解していれば受け容れることが容易になり、敵対的な態度を取らないでいられる。自分自身の利己的な態度に気づけば、流されてしまったと分かるが、自覚すること ができたので、いいことだ。次の機会には、エゴは減らしてもっと愛ある気持ちで行動しよう、と固く決意するのだ。

こうして、毎日少しずつ前進して行ける。君たちが、内面の意識的な改革を忍耐強く続けるのなら、いつか過去を振り返った時に、見違えるような自分を見出し、驚くべき肯定的な変化を遂げたと気づける日が来 るのだ。

*でも僕は、いい人である条件の一つは他者を批判しないことだと思っていたのですが、いい人になるには自分の欠点だけでなく他者の欠点も必要があると言われるのと、矛盾しませんか。

それは一般的に、人が他者の欠点に焦点を当てる時は、批判したり嘲笑したりするためだからだ。人は悪い意図を持っていると、とても不公平になり易く、嘲笑の対象となる者を罵倒しようと現実を曲げて大げさ にして、何の配慮もしないものだ。

もちろんこれは嘆かわしい態度で、イエス自身が何度も「隣人の目の中のおが屑が見えるのに、自分の目の中の丸太に気づかない」と咎めて いる。このため、多くの善意ある者が、欠点について話すのは悪いこと だと信じている。

しかし、ここで欠点について分析するのは、批判するためでも嘲るた めでも誰かを非難するためでもなく、それがどう作用するかを理解して 我々自身が改善するためと、他者も改善できるように助けるためである。 ここでは、現実を、誇張も隠蔽もせずに、在るがままに見ようとしてい るのだ。

実際、この舞台では、人類の大半が同じ欠点を共有しており、それを排除することが進化の工程の一環となっている。それに、初めに認識することなく、どうやって利己的な行為を修正できるというのだろうか?

*我欲に触発されて攻撃してくる人がいたら、その人を許さないといけないのだと思っていました!

許すためには理解が必要で、理解するにはどうして攻撃したのか、つ まり、原因となる場面ごとの我欲についても掘り下げる必要がある。

たとえば、他者の欠点に焦点を当てて、公衆の場でそれを批判して中傷する者は、虚栄心の顕現形態の一つである羨望という欠点の下に行動しているのだ。

霊性進化の工程や克服すべき我欲の段階と、我欲がそれぞれの段階でどのように顕現するのかが理解できなければ、羨望・嘲笑・批判・中傷 などや、もっと酷い利己的な態度を許すことはとても難しいだろう。

*それでは、自分自身が我欲のどの段階にいるのかを知ることは可能ですか。つまり、自分の能力や霊的発展レベルがどの程度なのかを知ることはできるのでしょうか。

ああ、知ることは可能だ。自分自身を知ろうと努力して、霊的に成長しようという誠実な思いがあれば、自分がどの地点にいて、今生で取り組むべき霊的な課題が何であるかが分かるだろう。

ここでは、美徳も欠点も含めて、自分自身を理解できるように幾つか の指標を与えようとしているのだ。手助けがなく、自分を理解することはかなり難しい。だが、我々には旅の道連れがいるのだ。

もう話したことだが、一人ひとりにはガイド役がついていて、助けて欲しければ、自分独りでは気づくのが困難なことを見せてくれるように手を貸してくれるのだ。また、肉体を持った人の中にも、その内なる能力によって、君たちに手を差し伸べられる人がいる。

しかしこれも全て、各人の意志による。我欲に捕らわれていて前進したがらない者は、自分の欠点も認めようとはしないし、いかなる助言も受け入れようとはしない。そのため、霊界から与えられる助言にも、も っと高次の同胞の意見にも、耳を貸そうとしない。嘆かわしいことに、 君たちの世界では、大半の人がその状況にいるのだ。

自分が目も耳も不自由だと嘆いているが、目隠しを取ろうとも耳栓を除こうともせず、「目隠しも耳栓も取りなさい。君は目が見えないわけ でも耳が聞こえないわけでもない」と言ってくれる人を聞こうともしな い。要は、自分の不幸を嘆いているのだが、自分が幸せになるのを阻む主要因たる我欲を放棄したいとは思わず、幸福になるために必要な支援を受けるつもりもないのだ。

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