魂の法則:愛 vs 我欲(淫乱と色欲)

愛 vs 我欲

2年近く、「魂の法則」についての投稿をサボってましたので、久しぶりに投稿いたします。

私が、「魂の法則」を投稿しようと思いつくタイミングは、何らかの必然を持っているようです。おそらく、今、私の側にいる人・患者さんが今日の投稿内容を必要としているのだと私は感じます。是非、すぐにお読みください。

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淫乱と色欲

 セックスへの依存は、虚栄心の顕れでも自尊心の顕れでもある。
 だが、人がセックスを常習するようになる原因は、それぞれの場合で 異なる。そのため、見栄っ張りな者に特有の淫乱と、自尊心の強い者と 尊大な者の特徴である色欲という、二つの表現形態に区別してみよう。

 淫乱とは、セックスの悦びへ過度に傾倒することだ。虚栄心の強い者 のセックスへの依存は、他者から認められたいという欲求と関係してい る。つまり、セックスを通して人から認められたり、称賛されたりちや ほやされることを期待しているのだ。彼らは、自分自身を満たす手段と して性的快楽に溺れるが、他者の欲求を配慮することがほとんどない。 しばしばセックスを利用して人を独占し、意のままにしたり優位に立と うとする。

 感覚が飽和しあきあきしてしまうと、性欲をメンタルに駆り立てる手 段として新しい刺激を探す。それは、パートナーを頻繁に変えることで あったり、サディズムとマゾヒズムなどの堕落した性様式に訴えたり、 他の人たちをその意に反して乱交に巻き込んだりといったものだ。

 一方、自尊心が強い人のセックスの常習は、愛せる人がいないことを 認められないとか、特定の人への愛情を抑圧したり認めようとしないな どの、愛情の空虚感や欲求に起因している。
 つまり、自尊心の強い者が本当に必要としているのは、愛され愛すこ となのだが、自分の愛情欲を認識せずに抑圧してしまうことが、安全弁 のように、セックスへと逃避させてしまうのだ。要は、愛の欠如をセッ クスで補っているのだ。そのために過度の性欲があるが、虚無感は、性 的なものではなく感情的なものなので、性関係では満たすことができず に満足できない。
 そこで、益々セックスを求めるようになる。そうすることで、この空 虚感を癒そうとするのだが、上手く行かずに、前述のような堕落した様 式に至る場合もある。

*色欲はどう克服するのですか。

 色欲に関しては、セックスによって満たそうとしている内面の虚無感は愛情の欠如によるもので、愛情だけがそれを満たすことができると認 めることが、それを克服する唯一の方法だ。

*淫乱はどう克服しますか。

それが虚栄心の反映したものだと認識して、それでは絶対に幸せになれないことに気づくのだ。
 残念だが淫乱のケースの大半は、若さや肉体美や性力などの衰えが顕れ、性的魅力を失ったり、体が精神的な性欲に応じられなくなった時に、 自然に消滅するのだ。肉体の衰えにより、自分の取り巻き連中は消え、 それまでの人生の主要な刺激剤も失われる。 
 こうして人は、便宜上の虚しい関係を築きながら、無意味な人生を送 ってしまったという、厳しい現実に直面するのだ。肉体的な魅力だけで 寄って来る人たちに囲まれていたが、魅力が失われるや、その人たちは 魔法のように消え失せるのだ。その人の我欲にも関わらず、本当に愛し てくれた何人かが残ってくれるかもしれないが、彼らに注意を払ったこ となどほとんどなかった筈だ。
 虚栄心を満足させるために使用した外見美という武器が失われてしま うと、真相にずっと近い新たな局面と対峙しなければならない。そこで は、人を惹き付けるためには、自分の内面から何か美しいものを引き出 さねばならないのだ。こうして、便宜上の関係と気持ちの通う関係との 違いを評価できるようになり、後者を尊重することを学ぶだろう。

*でしたら、美しく魅力的な人たちだけが淫乱なのですか。

 そうではないが、その多くが淫乱の深みに陥り易い。
 魅力がないその他の見栄っ張りな人たちは、そうしたいと思っても、欲しいものを手に入れる餌としては、肉体的な魅力を利用できないから だ。そういう場合は、虚栄心が羨望を呼び起こし、自分が持たない美貌 を獲得したいという叶え難い欲望にかられ、体重を落としたり、整形手術を何度も受けようとする考えに取りつかれ、自分をより魅力的に見せ ようとする。
 肉体的に魅力的なのに、完全な肉体を持とうとする執念に捉われてし まう人は多く、それは「ナルシシズム」または「肉体信仰」と呼ばれる 虚栄心の具現形態の一つである。

*ナルシシズムまたは「肉体信仰」がどういうものなのか、もう少し広 く説明いただけますか。

 それは、今言ったように、虚栄心の表現形態の一つであり、自己の肉 体美が望み得る最大の価値を持つものとして傑出するものだ。
 自分の体で満足できずに「完全な肉体」を求めることは、脅迫観念へ と変わる。これは精神的な病気であり、食べることを止めたり、あらゆる種類の痩身サプリ・強壮剤・興奮剤などを摂ったり、自分の命を危険 にさらすことさえいとわず、様々な人工物をインプラントするといった、 常軌を逸脱した行動を取る。

 ナルシシズムに感化されてしまった人は、絶対に自分の体で納得しな い。時間とエネルギー、意志とお金の全てを、肉体の改善へと費やして しまう。肉体自体が自分自身だと思い込んでいるのだが、実際には、物 質界で動くために使用する衣服に過ぎない。
 いつかは理想的な肉体を手にして幸せになれるのだ、という偽りの幻 想を抱いている。そして幻想を利用して儲けている、エステ産業や化粧 業界や消費主義によって、その信念が益々強まっていく。だが、その幻 想は我欲が仕掛けた罠に過ぎず、それでは幸福にはなれない。幸福は、 愛を育むことでしか獲得できないのだ。そのため、不満はどんどん膨張 する。

 そして、体内時計が老年へと向かって情け容赦なく進んで行くにつれ て、あんなにも一生懸命になって得られた成果が、老化という自然現象 に台なしにされていくように思える。人生はこうして過ぎていき、かつ ては美しかった肉体を完全に去る時が来て、非情にも自然の腐敗プロセ スが宣告される。
 魂は霊界に戻ると、今や墓の中で朽ちた自分自身ではなかった肉体を 美しくしようと無駄に時間と努力を費やしたことに気づき、魂という永 続する本当の自分を改善することにはほとんど努力しなかったことに気 づく。
 しかし、手遅れなことなどない。魂の命は存続するので、再び生まれ 変わって、着ている肉体を自分だと思い込んで無駄にしてしまった人生 でやらなかった事を、もう一度やり直せるのだ。

*こういう見方をすると、肉体美は魂の進歩にとっては障害だと言って もいいですね。

 私の話から、美しさはそれ自体がネガティブな特性なのだと思わないで欲しい。その反対に、魂が進化していくにつれて内面の美に呼応して、 魂が宿る肉体はより完全により美しくなるのだ。そして実際に、君たちよりも霊的に進化している物質界では、そうなっているのだ。

 しかし、進化の乏しい魂たちが支配する後進的な世界では、確かに諸刃の剣となる。虚栄の段階から抜け出せない進化の乏しい魂にとっては、 肉体的な魅力は虚栄心の奔放を許す武器となり、そのために使用される。 気紛れ・下品・不躾・横柄に振舞っても、自分の肉体美が欲しいものを与えてくれると知っているのだ。それは、称賛してくれる者やちやほや してくれる人たちだ。目も眩む体の美しさで欲しいものが手に入るのな ら、なぜ善い人になる努力をする必要があろうか? 
 …こうしていつしか老年になり、自分の唯一の魅力を失い、独り取り残されて、自分のモラルの貧しさに失望する。美しく魅力的な外見を維持することばかりにかまけていて、内面を改善しようと努めたことが一度もなかったからだ。

*ナルシシズムはどう克服しますか。

 自分は肉体ではないので、肉体にそれほど煩わされるべきではないと認識するのだ。人が幸せになるためには、自分自身を、つまり自分の内面を耕さねばならないのだ。
 肉体美という罠に陥った多くの魂がそのことを知っている。そのため、 自分の体ばかりを眺めて人生をそれ以上浪費したくないので、直ぐ後の 転生ではありがたみの少ない肉体を選ぶのである。我欲を克服して人間 として改善したいので、美しい肉体を持つことが誘惑の原因となるので あれば、現状では持たない方を選ぶのだ。

*それでは自尊心の強い者は「肉体信仰」に陥らない、つまり、自分の体に不満を覚えたり、魅力的で美しくなりたい、と熱烈に願いはしない のですか。

 もちろん願いはするが、見栄っ張りな者とは違う要因でそうするのだ。
気位の高い者は、称賛の的となるよりも、愛されることを求めているのだが、もっと美しくなればもっと愛してもらえる、と間違って信じ込 んでしまうのだ。 
 自尊心の強い者がハンサムな場合は、周りの人たちは自分を好きでそばにいるのではなく肉体やその他の魅力に惹かれているからで、飽きたりもっと素敵な人に出会えば簡単に捨てられてしまう、と知ってしまう と失望する。

*僕たちは、本当は魂であって肉体ではないのに、どうして自分の魂を意識せず、身体ばかりを自分と同一視するのでしょうか。

 それが君たちの世界が教えることだからだ。 魂は存在せず、人とはその体であると教えている。君たちの快楽主義の世の中では、評価される 資質とは物的なもの(肉体美・富・権力)で、内的な資質(感受性・慈悲深さ・謙虚さ・慎み深さ)は軽視されるのだ。

 霊界では、それと全く逆だ。全ての霊的な資質が評価される。中でも謙虚さは最も評価される資質の一つだが、外的な資質は、魂個有のものではないので、何の価値もない。外的な資質は、劇の作品が変われば俳優の衣装替えがされるように、ある人生から他の人生で変化するので、 状況的な付随物だと考えられている。人は、今生では外見的に美しくて も、次の転生では醜いかもしれないし、今回は金持ちでも、次回は貧しいかもしれないのだ。

 魂は、肉体から離れている間は、その違いが明確に分かっていて、霊性の改善のためにこの世にやって来ると知っている。しかし肉体に宿る と、身体との一体感や過去の忘却や、転生先の文化の影響などで、霊的に改善する目的意識の低い魂は、自分を完全に肉体と同一視してしまう。 そして、魂が顕現するということには、個人的に経験したことも他者の経験も、頭から否定するのだ。

*魂の顕現とは何を意味するのですか。

 魂の存在とその能力を示す全てのものだ。それらはたとえば、肉体を持たない存在たちとの交信、幽体離脱、自他の気持ちを直感すること、 五感以外での超感知などだ。このような体験をした多くの人が、頭がお かしいと見なされる。だから、自分の霊感に自信のあるかなり進歩した 魂でなければ、自分が気が狂っていて精神療法が必要だと信じ込むに至 るだろう。

 

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