魂の法則:愛 vs 我欲(悲しみ・絶望・苦々しさ・自暴自棄・諦め)

脳神経外科医師の白石俊隆です

==================

ご訪問ありがとうございます。

生体エネルギー療法と催眠療法を行える日本では貴重な

脳神経外科医師の白石俊隆です。

==================
症例報告など個人情報が含まれる投稿内容については、ご本人もしくはご家族の承諾を頂いております。
また、治療の効果につきましては個人差があり一様ではありませんのでその点はご理解いただきますようお願いいたします。


また、2017年以前の症例につきましては、現在のクリニックで経験されたものではなく、勤務していた病院の症例が含まれていることにご留意ください。

==================

ここのところ、ずっと「魂の法則」についての投稿をサボってましたので、久しぶりに投稿いたします。

私が、「魂の法則」を投稿しようと思いつくタイミングは、何らかの必然を持っているようです。おそらく、今、私の側にいる人・患者さんが今日の投稿内容を必要としているのだと私は感じます。是非、すぐにお読みください。

この本は、ここをクリックするか上の画像をクリックすると購入できます。

悲しみ・絶望・苦々しさ・自暴自棄・諦め

悲しみは、士気の喪失と低下という情緒的な状態だ。

悲しみは、攻撃性と同じ原因や状況で生じがちだが、感受性がもっと

強い人の場合にそうなるのであり、我欲に由来していることが攻撃欲ほ

ど明白ではないので、捉えるのが難しい。

実際、無力感や罪悪感や、場合によっては憤りと自棄も、本当は攻撃

性と悲しみの入り混じったものだ。

悲しみは、自分が求める成果が見られなかったり、結果が期待したも

のと違ったりして、憔悴したりがっかりした際に表れる。

悲しみには色々な形態があり、それぞれに特色がある。

苦々しさは恒常的な悲しみで、長期に及ぶ。日常生活の妨げとはなら

ないが、とても深く内面に根を張っているので超えるのが難しく、悲し

みによってその人が少しずつ死んでいくような印象を与える。努力する

動機づけや生き甲斐がないというのが特徴である、絶望と諦めという悲

しみの形態にも深く関連しているが、後者は通常、認めたくないような

状況から生まれる。

自暴自棄は、鋭く強烈な悲しみの極端なもので、日常的ないかなる仕

事も行えなくなり、精神不安定になって自分の命や他者の命を奪うなど、

致命的な行為に及ぶことがある。

*悲しみが我欲の感情だと思われているのは、予想外でした。

ところがそうなのだ。人が時々悲しくなるのはとても普通のことだ。

だが、諦めて投げ出してしまって、悲しみがその人の日常的な状態にな

ってしまうと、それは停滞した状態なのだ。悲しみは、霊的成長の努力

を怠る口実となるのだ。

*悲しい時に、誰かに何か悪いことをするとでも言うのでしょうか。

悲しみは自分に有害であるし、間接的には他者をも害する。悲しみの

せいで、自分の務めが果たせなくなる場合があるからだ。悲しみや落胆

に沈んでいる人と一緒に暮らすのは、とても疲弊することなので、大変

強い意志力を持たない限り、うつ状態の人と暮らす者たちにも容易にそ

の状態がうつってしまう。

悲しみが蓄積されると、攻撃欲と同じように、多数の病気を引き起こ

す。悲しみで病気になり死んでしまい、今生で取り組んでいた試練や使

命を途中で止めてしまう人は大勢いる。そうした人たちは、同時に、他

の魂たちを助けるという約束も投げ出しているのだ。たとえば、悲しみ

に蝕まれて死んでしまう父親や母親は、子どもたちを見捨てているのだ。

*悲しみはどう超えたらいいでしょう。

攻撃性と悲しみを生み出す要因は大変似通っているので、攻撃性を乗

り越えるために処方したレシピを、ほぼその一点一点、悲しみを克服す

ることにも適用できる。

それゆえ、悲しみを乗り越えるための基本となるのは、理解である。

自分自身への理解、他者への理解、我々の人生の状況への理解。

我々が直面する逆境の多くは、愛の学習と我欲の克服という工程の一

部を成しており、その多くは生まれる前に我々自身で選んだものだと理

解するのだ。そしてその他のものは、他者への不寛容・頑固さ・無理解

などで、我々自身が招いたものなのだ。

時には、自分が間違っているのを認めたくなかったり、自分自身の利

己的な態度を認めたくないために、悲しくなる場合があるのだと理解す

ること。

誰かに傷つけられて悲しくなるのであれば、それは、その魂の成長が

足りないためで、愛の知識をまだほとんど持たないためなのだと理解す

るのだ。

自分らしさを抑圧したり、意志を黙殺して悲しくなるのであれば、自

分を在るがままに表現するよう努めて、悲しみを超えるのだ。

*あなたのレシピは、諦めを勧めているようですが。

とんでもない。理解と諦めは全く異なるものだ。諦める者は、匙を投

げ、理解を放棄し、自分の意志を否定する人だ。もうどうでもいい、と

生きる希望を失い、落ち込むのだ。

もう言ったことだが、諦めも、悲しみに関連する我欲の一形態なのだ。

それは苦しみを避けるために頑張らない、というやり方なのだ。しかし、

この方法では、別の理由でだが、もっと苦しむことになる。

理解は、生きる希望と悦びを失わずに、努力し続けて前進する鍵とな

るのだ。以前は分からなかったことにも、意味を見出すことを可能とす

るからだ。

*諦めと理解の違いがはっきりする例を挙げていただけますか。

例を挙げれば、死に対する姿勢だ。

君たちの世界の大半の人は、死に対して諦めの態度をとるが、それは

死の意味を理解しようとしないからだ。君たちは生きている間は、死と

向き合うことを避け、懸念を直視しようとしない。

この話題について真面目に話をしたがる人に出くわすと、冗舌家か頭

のおかしい人に思えるのだ。本当は君たちは怖いので、この話題を避け

て、日々の雑事に没頭しているのだ。理解しようとはせず、ただ避けて

いるのだ。

そうするうちに、愛する者が突然死んで、驚愕するのだ。この状況は、

悲しみ・苦々しさ・憤怒・無力感をもたらす。そして、このどうしよう

もない事実を変えることが不可能なので、最後に諦めてしまうのだ。諦

める者は、仕方がないので受容せざるを得ないものの、理解できていな

いので、不機嫌に暮らし無益に苦しむのだ。

死は単なる移行期で、実際に死ぬのは体だけで愛する者は生き続け、

遅かれ早かれまた一緒になれる、と理解できる者は、もう生きる希望を

失うことがない。そればかりか、再会の時が来たら大いに楽しめるよう

に、物質界で何もやり残さないようにと、もっと頑張って生きようとす

る。

進化した世界では、人が死んでもそれが肉体からの離脱のプロセスだ

と皆が理解しているので、誰も、悲しんだり、絶望的になったり、苦々

しく思ったりしない。その反対に、仲間が魂の真の故郷である霊界に戻

るので、喜んであげるのだ。

ご相談は、私のクリニックまで

ご相談は、私のクリニックまで。。。

愛せる母・スピリチュアルクリニック
https://clinic.icerbo.com/

本文下:メルマガ誘導など

//////////////////////////////////////////////////

メルマガ登録はここからどうぞ。
現在、エネルギー治療 を中心とした
スピリチュアル医療について

有意義な情報を整理して発刊準備中です。
がん治療、厚生労働省の難病指定疾患、
などの治療についての情報も提供の
予定です。

まずはご登録お願いいたします。

⇨ メルマガ読者登録 

///////////////////////////////////////////////

OHOHOHOHOHOHOHOHOHOHOHOHOHOH
私のホームページのご紹介です。
脳神経外科疾患についての啓発サイトがメイン
エネルギー治療・ネットビジネスなどについても
リンクしてあります

⇨ OH脳神経外科学校

OHOHOHOHOHOHOHOHOHOHOHOHOHOH

お問合せ
???????????????????????????????????????????
エネルギー治療を必要とし興味を持たれた方
そしてご質問はここからどうぞ。
エネルギー治療や脳神経外科疾患についてなど 何でも遠慮なく。
<お問合せ>

    ???????????????????????????????????????????

    フォローする

    %d人のブロガーが「いいね」をつけました。