クリニックでもお子さんの不登校を診る機会が増えてきました。
そして、一言で ”不登校” と言っても内容は本当に十人十色です。
今回は、ベースに注意欠如・多動症(ADHD)があり、二次性むずむず脚症候群、ヒステリーなどと病名をつけられ、不登校になっていた患者さんをご紹介いたします。
症例:17歳、女性(Sさん)
現病歴:
小学校高学年頃から、突然家の廊下や外で走り回ったり飛び跳ねたりするようになりました。本人は無意識だから理由は分からないとのこと。
以降、去年(2020年)の春までN病院に通院。13歳の時には、不登校でその病院に入院しましたし、いろんな薬を試したましたが、不登校や不安定は収まらず悪化していきました。
不登校は、中学1年2学期から高校1年2学期の3年間に渡ります。
不登校の原因として、学校の学生祭の準備で、クラス同級生と揉め事があり、特に仲の良かった友達から裏切られたことが辛かったのも一因にはなっているようでした。
15歳(中3)の時、自宅で突然笑い発作が起こりその時に脳のMRIを撮影したが異常ありませんでした。
2020/6月(昨年)に、ナギナタの練習中に、痙攣様の発作を起こして、救急車でM病院に搬送されたことがありますが、その時に「ヒステリー」と診断を受けました。
去年の夏に、寝る前、余りにもバタバタと脚を動かしたり、勉強中に脚が気持ち悪くて脚を切り落としたいとお母さんに訴えたので、話を聞いたところ、実は小さい頃から脚がずっと気持ち悪かったと初めて聞き、N病院の方から、S病院を紹介してもらい、むずむず脚症候群の治療を始めました。
また、その後、気分が落ちこみ、1か月様子をみても立て直しができず、K心療内科を受診し、むずむず脚症候群とADHDの合併症と診断され今に至っています。
現在は、1年前から、3ヶ月に1回、S病院神経内科にかかってむずむず脚症候群の内服と、K心療内科で、ADHDの内服薬も処方されていました。
むずむず脚症候群に対するニューロパッチは、貼ると痒く赤くなるがしかたないので貼っているとのこと。
お母さんもADHDのことは、彼女が小さい頃から気にはなっておられたようです。
片付けができない。文書が組み立てれない。ケアレスミスが多いなど典型的でした。
ADHDに対する処方、コンサータを飲んでいると効いている時間は落ちていますが、時間が経って効果が切れると、また元通りになるそうでした。
また、最近左大腿外側の皮膚がピリピリ痛くたまに叫ぶほどなので、病院で調べてもらいましたが原因不明でした。
既往歴:
動物の毛に対するアレルギーとアトピー性皮膚炎
2021/2/7に私のクリニックを初診されました。
お知り合い(私のクリニックで催眠療法を受けよくなられた方のお母さん)からのご紹介でした。
さらに、K心療内科でコンサータはいつまで飲まないといけないのでしょうか、と医師に尋ねた時に、医師(女医)から冷たく「ずっと(一生)ですよ。治ることは無いのですから。」と言われたことが、ご本人もお母さんもとてもショックだったと伺いました。
上記の問診を詳しく、2時間ほど実施いたしました。
ブログには個人情報の関係で書けない内容もございますが、記載してあることは事実です。
問診の後、エネルギー治療を1セッション実施すると、表情は来院時とは別人のように明るくなっておられました。
催眠療法の適応があると判断し、催眠療法についてのご説明も詳しくいたしましたところご本人もとても興味を持っていただき積極的に受けていただけることになりました。
2021/2/16に催眠療法を予約して帰られました。
2021/2/16:催眠療法
プリトークで今一度詳しく尋ねて情報を集め催眠の目的をしっかりと決めた。
じっとしておれない、走り出してしまう、左大腿部外側がピリピリする、人と話すのが苦手、寝ている時に唾がたまる、そのような時には、胸がゾワゾワ、人の視線が気になったり、行かないといけないのに引き止められるような感じがしたりする。この原因を知るために退行催眠を実施。
<深い催眠に誘導>
(Sさん)
膝から下が、動かせない。両膝がプルプルして一番気持ちが悪い。棒の様で痺れている感じがします。
子供では無い。
手は何も感じない。右の肩が見えるけど、周囲にモヤがあってよく見えません。
木造のへやにいます。ドアがあったので、押して外へ出れました。
右手が急に一瞬熱くなりました。
<あなたは、女性ですか男性ですか?>
(Sさん)
ヨーロッパか北アメリカの細い背が高い女性です。
<年齢は?>
(Sさん)
20-30歳代です。なんとも言えない表情で、ポケーっとしています。
緑色の服を着ています。
道の両脇に家々が並んでいて、その道の奥の方で何かがどこかに行ってしまったので虚しさを感じます。空っぽで寂しいと。
私は、突っ立っています。
=時を少し戻し何が起こったのかを見に行く=
(Sさん)
暗い。右上が明るくて眩しい。
さっきの道の奥の方が眩しい。自分1人ではそこに行けません。
先に誰かが行ってしまったから。
男性だと思います。私よりも年上です。
木の家で、私は、両手に籠を持っているが、中身は空です。
そして、それを彼に渡そうとしています。
彼は、私は連れていけないと言っています。
=この辺りから、Sさんの話すペースは非常にゆっくりで時間がかかるのだが、焦らないでゆっくりと進める様に注意した=
=彼とSさんを”人格交代” してみる=
(彼の中のSさん)
彼女に特別な気持ちは抱いてません。
明るいところは、男性にとって良い所で、そこに行ったら願いが叶いそう。
=話が、少し混乱している様に感じたので、場面を変えてみた=
(Sさん)
草の上に座っています。12歳の女の子。
白っぽいふわっとしたワンピースを着ています。
ただ、正面の空を見ています。
青い空、寂しい気持ちです。
周りには誰もいません。
両膝に違和感があって、膝から下の感覚があまりありません。
両脚が悪そう。
=時を進める=
20歳手前。
右膝に違和感があり、左脚の感覚がありません。
木の家の外に立ってます。
=時を進める=
24歳。
同じ家で、外を見ています。
外は緑で、家の雰囲気が変わりました。明るい感じで、手すりがついてます。
=時を進める=
40歳後半。
同じ家で、椅子に座って、膝に両手を置いて、外を見ています。
誰もいなくて寂しい。
両脚がさらに悪くなりました。
凄く重い。
空の明るい方ばかり見ている。
なんか、悲しくて、寂しくて、羨ましい気がします。
外に行きたくて。。。
=時を進める=
臨終の場面。50歳代。
ベッドの上に転がっています。
悲しく、うつろで、やつれています。
天井を見ています。
部屋は薄暗くて、置いていたものが減っています。
捨てました。
やがて、死を迎えました。
<表情はどうですか?>
(Sさん)目を閉じて、無表情です。
<この前世の人生を振り返ってみてどう感じますか?>
(Sさん)
。。。涙を流しながら。。。
ずっと、孤独な人生でした。
凄く寂しくて、両脚が悪く、外に出ようとしませんでした。
他の人について行けませんでした。
<来世に生まれ変わるとしたらどんな人生にしたいですか?>
(Sさん)
外に出て、いっぱい人と一緒に笑って
とにかく人と居たいです。
<この前世の彼女の人生と今世のSさんの人生を比べてみて、何か気づいたことはありますか?>
真逆の人生です。
両脚の感覚が全く同じです。
人とうまく付き合えず、寂しい思いは同じ感じがします。
今世は、足が動いて嬉しい。
もっと自分から話しかけようと思った。
左大腿部外側がピリピリすることや寝ている時に唾がたまることは、この過去世とは関係がない様な気がします。
=中間世(あの世)に誘導=
どんな場所だと感じますか?
(Sさん)
雲の上の様です。
そこにいるとどんな気持ちになりますか?
(Sさん)
軽い感じがします。
<では、今世のSさんが、この中間世の魂のそばに行きます>
Sさんは、この魂をどのあたりに居ると感じますか?
(Sさん)
前世の魂を私の左前に感じます。
<魂さんに何か聞いてみたいこと質問などありますか?>
(Sさん)
人とうまく話すにはどうしたら良いか?
(魂)
『頑張れ! 』 と言っています。
(Sさん)
嬉しく感じます。
(Sさん)
私の両脚が勝手に動くのを治すには、どうしたらいいですか、と聞いてみたい気はするけれど。。。なんか。。。
<そうですよね。この前世では、両脚が不自由だったのに、その人に向かって、Sさんの脚が勝手に動いてしまう理由を聞くのは贅沢で、申し訳ない気がするんですね。。。>
(Sさん)
はい。
<でもね、魂さんはきちんとお答えになると思いますよ。聞いてみて下さい。
声に出さなくてもいいですから、心のなかで呟いてみて下さい。
答えは、インスピレーションで直ぐに、返ってきますよ。>
=しばらく待つ=
(Sさん)
なんか。。。明るい表情で喋ってくれた様なのですが、はっきりと聞き取れませんでした。
=このあとも、もう1度尋ねてみて、少し時間を置いてみたが、やはり答えは帰ってこなかった=
<では、今から、魂さんからの提案を実施したいと思います。それは、今世でSさんがいらないと思っている症状や気持ち、考え、エネルギーの全てをこの目の前の魂さんに、Sさんの左手から流し出して、それを魂さんにあちらの世界へ持って帰っていただき、光に溶かして消していただきます。
やってみたいですか?>
(Sさん)
はい!
<また、Sさんが必要だと思うエネルギーを魂さんから、右手で受け取っていただこうと思います。
受け取りますか?>
(Sさん)
はい!
<エネルギー交換を実施>
<守護霊に来ていただき、プレゼントをいただく>
==プレゼントを用いることで、アンカリングするとともに、メンタルリハーサルを実施して、これまでの不都合な症状が起こった時に対応する方法を確認した==
<解催眠>
その後の臨床経過と考察
催眠が終わった時刻は、すでに19時を回っていました。
実は、心療内科で処方されたコンサータを内服しても夕方16時頃には、じっとしておられなくなり走り出していたそうです。
しかし、この日は、催眠が終わった後も体は、静かにしてくれていたのです。
そして、翌日から、内服していた薬を全てやめたのです。
なんともありませんでした。
その後、心療内科を受診した時に、私のクリニックで催眠療法を受けてから内服薬はもう不要になったことを主治医の女医さんに報告されました。
すると、心療内科の女医さんは、素っ気なく
「そうですか。」と言っただけだったそうです。
よかったですねとも、不思議ですねとも、何も言ってくれませんでした。
実は、私の名刺もSさんのお母さんには渡してました。
その名刺も女医さんに渡したのですが、ほとんど見向きもしなかったそうです。
Sさんもお母さんも、呆れたと同時に、とても失望したとのことでした。
それ以後、Sさんは、見違える様に元気になられました。
学校にも行ける様になったし、人とのコミュニケーションも良くなっています。
もちろん、注意障害や多動も無くなったのです。
現在、エネルギーを浴びに月に1度だけ私のクリニックを受診されています。
なんら、問題ありません。
そして、全ての薬から開放されています。
Sさんは、別人に生まれ変わった様です。
私は、とても感動しましたし、とても嬉しく思っております。
なお、彼女には、まだ「動物の毛に対するアレルギー」が残っていましたので、後日これに対しても催眠療法を実施して、とても良い結果を得ておりますので、またご報告いたします。
ご期待ください。
Sさんとお母さんの感想
(Sさんの感想)
友達のお母さんの紹介で催眠療法とエネルギー治療を受けました。
子供の時から家の中を無意識で走り回ることなどがあり、前通っていた心療内科ではADHDなどの診断をされました。薬もたくさん出され、副作用も出ました。
薬が効いている時間はなんともなくても、薬が切れると反動のように自分に返ってきて、とてもしんどかったです。
病院で副作用の相談をしても、「そんなことはない」と言われ、薬の量も増えていきました。
もう薬を飲みたくなかったので催眠療法を受けたところ、治療後からすぐに体が動くのがピタリと止まりました。
薬も止めることができて、とても楽になりました。
今思うと、あんなに薬を飲んで元気になるはずがなかったと思います。
治療後、心療内科にいって話をしたけれど素っ気なく返されて、一生懸命考えてくれていると思っていたけど、こんなものだったんだと思い、少し寂しかったです。
今では、性格も前より明るくなり、毎日楽しいです。
症状が治まって、県外の大学を目指すことも心配されていたけど、皆も応援してくれるようになりました。
白石先生には感謝しかありません。ありがとうございました。
(お母さんの感想)
娘は小さい頃から多動で落ち付きがなかったのですが、中一の時に不登校になってからは異常なほど家の中を走り回るようになり、じっと座る事もできなくなりました。
また、人とコミュニケーションを取る事もできなくなり、とうとう中学受験して入学した学校も高校1年の時には退学しました。
以前通っていた病院では、ADHD、むずむず脚症候群、鬱病、パニック障害など様々な病名が付けられ、その度に沢山の薬が処方され、薬漬けの日々。 薬を飲むと一時的には症状が落ちつく事もあるのですが、薬の効果が切れるとまた元通りで、それ以上に副作用で苦しんでいました。
このまま一生薬を飲み続けなければいけないのかと悩んでいる時に、知り合いの紹介で白石先生に出逢いました。
白石先生は、「治ると思いますよ」と言って下さった唯一のお医者様でした。
娘は催眠療法を受け、次の日には、自分で薬を止める決意をし、それ以降薬は一切飲んでいませんが、多動や走り回る事はなくなり、人ともスムーズに話しができるようになりました。
半年近く経った今、娘は新しく編入した学校でゆっくりと席に座り落ちついて授業を受けています。友達もでき、将来の夢に向かって日々頑張っています。 半年前には、想像もできなかったことです。
発達障害で悩んでいる方は沢山いらっしゃると思います。 是非、諦めないで白石先生に相談してほしいと思います。
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